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87 :名無しんぼ@お腹いっぱい:2011/11/22(火) 23:15:37.30 ID:UQV8Rk8a0
義経ってそんなに卑怯な奴だったっけ?と不思議に思って
ウィキペディア見たら壇ノ浦で非戦闘員の船乗りを狙い撃ちにしてるんだね。
与一に命令拒否されるのもうなずける。



88 :名無しんぼ@お腹いっぱい:2011/11/22(火) 23:25:33.33 ID:M92Euo3I0
>>87
というか、義経の戦術って、平家の裏を掻くために、徹底的に戦場での常識や礼節を足蹴にしてたからなー
なんぼ戦功あっても、回りからの心証はよろしくなかったと思うぞ



89 :名無しんぼ@お腹いっぱい:2011/11/22(火) 23:39:14.01 ID:Aa5VCaGX0
それまでは昼間だけが常識(夜は攻撃しない)だった戦場に、夜襲って概念ぶち込んだのが義経だったとか
かの有名な鵯越も「鹿が行けるんだから馬でも行ける、おらとっとと行け!」って
無茶な理屈でごり押ししたとか
そういう話はよく聞くな



92 :名無しんぼ@お腹いっぱい:2011/11/23(水) 00:09:02.29 ID:qElA5tO50
>>89
というか、源平の頃は互いに手紙をやり取りして、戦のアポとってからやるのが常識で、
戦場ついたら互いに鏑矢飛ばしてオッケーのサイン出して、そっから「やあやあ我こそは」って互いにマイクアピールしてからどっこいしょで戦争開始とかって聞いたな。
そんな時代にやれ夜襲だ、停戦勧告シカトして奇襲だ、後ろから奇襲だしてたら、まあ外道よ化物よと扱われても仕方あるまい



110 :名無しんぼ@お腹いっぱい:2011/11/23(水) 03:18:38.28 ID:6/8t81WS0
>>92
少し違うが、楠正成が大軍を止める為に山城に籠城。目一杯時間稼ぎ+一方的に戦果上げた後、自ら城に火を放ち脱出。
敵将(燃える城見て)「最後は自害とは潔し!あれこそ武士の鑑」
正成「城?用済みだから捨てただけですが何か?」

・・・という逸話を思い出した。
常識という固定概念があったにせよ、作中でノブノブがぼやいてた様に、戦術ではなく戦略を理解できる人材少なかったんだろうな




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コメント
  1. 名無しさん@ニュース2ちゃん 2011/11/26(土) 09:26
    110の「作中」って、何の話だ?

  2. 名も無き修羅 2011/11/26(土) 09:35
    一の谷でも屋島でも、
    ・決着つけるために頼朝は調略進めて平氏側の瓦解・包囲を狙う
    ・義経は勝機を見出すと現場の判断で敵を急襲する作戦を行う義経

    この現場と上の判断の食い違い、実はかなり深刻な問題を含んでる
    平氏に養育され、奥州藤原氏の庇護を受けた義経は都と東北が故郷
    義経は源氏の勢力圏内に地盤を持っていないから参加武将たちの苦悩を気遣う必要は少ない。
    なので、なおさら奥州藤原、さらにその藤原氏と組んで全国の武力勢力の均衡を図る後白河法皇の与党と見なされる
    義経が勝手に平氏を厚遇したことも、後白河法皇の戦略にとっては◯、頼朝にとっては☓
    九州では戦いが続いていたし、親平氏派(あるいは反頼朝派)は全国に大勢いた
    平氏の厚遇は頼朝も当初考えて重臣たちへの手紙も残ってる。平氏の厚遇はあくまで頼朝の指示を受けて初めて行われないと、平氏を頼朝政権に取り込めない
    そもそも頼朝の構想には東北の制圧も含まれていたので、遅かれ早かれ兄弟対決は避けられなかった

    とはいえ義経がKYだったわけではなく、義経は源氏内に自分の派閥を作って源氏分裂を招くようなことはしなかった

  3. 名無しさん 2011/11/26(土) 09:41
    自分は最後には散るつもりで兄貴に迷惑かからんようにかつ早急に平家刈り取る気で(当時の)常識無視の卑怯戦法とったと思えば…無理か。

  4. 名も無き修羅 2011/11/26(土) 09:42
    卑怯と言うより、稼ぎ場としての戦に無頓着だから嫌われてるといったほうが正しいよな
    義経の心中は坂東武士には知った事ではないし

  5. 名も無き修羅 2011/11/26(土) 09:49
    手塚治虫の「火の鳥」では私怨を果たすために手段を選ばないエゴイストの嫌なやつとして描かれているね。人身掌握術とか政治力に欠けた結果、悲劇的な最後を遂げたということになっている。

  6. 名無しさん@ニュース2ちゃん 2011/11/26(土) 10:02
    現代で言うと被害があまりにもでかいから戦争でも使わないようにしてる化学兵器や核兵器を
    戦争にルールなんてあるか!と使いまくるようなもんか

  7. 名も無き修羅 2011/11/26(土) 10:08
    そもそもが92の言うほど牧歌的な戦争じゃなかったって話もあるから何とも言えないだろう

  8. 名も無き修羅 2011/11/26(土) 10:17
    米81172
    全然違う
    真珠湾攻撃を意図的にやるようなもん

  9. 名も無き修羅 2011/11/26(土) 10:42
    米81172
    あれも意図的だろ。
    そうでなかったらなんなんだよ。

  10. 名も無き修羅 2011/11/26(土) 10:43
    間違えた。
    米81174な

  11. 名無しさん 2011/11/26(土) 10:52
    >>81165
    ドリフターズのスレなんだからドリフターズだろう

  12. 名も無き修羅 2011/11/26(土) 11:07
    真珠湾の宣戦布告問題は大使館のミスで起きたから、奇襲はわざとじゃないって言いたいんだろ
    つっても宣戦布告なんて実際はたいした問題じゃないけどな
    当のアメリカが宣戦布告なんてしないし
    内戦扱いにしたりいちゃもんつけて武力介入してる

  13. 名も無き修羅 2011/11/26(土) 11:29
    夜襲って概念をぶち込んだのは義経って寝言すぎる
    義経より何十年も前に、保元の乱が夜襲で開戦してるだろ
    それが源氏凋落、平家勃興の原因なんだから
    義経はやられたことをやりかえしただけだ

  14. なおと 2011/11/26(土) 12:07
    そもそも「船乗りを狙い撃ち」ってできるもんなの?
    陸上での狙撃だって難しいのに揺れる船上で

  15. 名無しさん@ニュース2ちゃん 2011/11/26(土) 12:33
    実際は狙い撃ちというより乱れ撃ち。
    戦闘員は甲冑を着けてるから、強弓で時間掛けて狙って
    水平に撃ち込まないと手傷を与えられない。
    自然、射手ってのは身体を敵に晒す形になって、同時に敵の的にもなる。
    基本、物陰に隠れてる奴は、的にかけにくので、
    相手にはしないってのがその時の常識。
    そういう場所へ、矢を山なりで大量に打ち込むと、
    非装甲の非戦闘員にとっては結構脅威。
    で、結果びびって持ち場を離れることになる。

    的を撃つライフル射撃競技に、ガトリング砲持込んで、
    支え台とかの周辺設備ごとは破壊しつくすみたいなもの。
    新兵器使ったら卑怯とか、非戦闘員相手にとか、
    そんな戯言戦争で通用するかいな、とは思ってるけど。

  16. 名も無き修羅 2011/11/26(土) 16:54
    ジャンヌ・ダルクも当時の戦法無視して卑怯な手段とって勝ってたらしいね。

  17.   2011/11/27(日) 13:02
    当時の戦法を無視するのは画期的とは言わないのかな?
    常識じゃない=卑怯、はちょっと違うような気がする

  18. 名も無き修羅 2011/11/27(日) 15:36
    一の谷のひよどり越え、屋島の夜襲はアリ。壇ノ浦のこぎ手狙いは反則。

  19. 名も無き修羅 2011/12/12(月) 10:17
    戦場の常識って実は実利が関わっていたりする。
    名乗ったり、目立つ鎧をきるのも、戦後の論功行賞のときに
    証人を見つけやすくするだめだったりする。

    たとえば、義経は先陣にやたらとこだわっているけど、
    これは大変利己的というか、絶対にまずい。
    というのは、先陣は敵陣に「一番乗り」しやすいから、単に名誉なだけではなく、
    大きな恩賞のチャンスでもあったんだよね。(ちなみに二番目以下は格段の差があった)
    だから、先陣は遠くから駆けつけた(経済的負担が大きい)味方にまずまわすし、
    終盤でまだ手柄を立てていない者がいれば進んで譲ることになっていた。

    今で言えば完全歩合制の会社で、歩合を稼げそうなとこを独り占めする
    ガメツイ中間管理職みたいなもん。
    だから義経は同行していた武士には、かなり嫌われていたというのが本当のところ。

  20. 名も無き修羅 2011/12/12(月) 11:22
    この話がなんで戦略になるんだ?一握りの連中が当時の道理を無視してたんだから、戦術上もしくは作戦上の話だろう。

  21. 名も無き修羅 2011/12/14(水) 03:08
    戦術戦略がどうというのとは違うよな

  22. 名も無き修羅 2012/01/06(金) 21:59
    義経を卑怯者呼ばわりしている当時の資料ってあるの?あとウィキペディアみたらこぎ手狙いは史実じゃないって書いてあった

  23. 名も無き修羅 2018/02/08(木) 15:18
    >>87
    夜襲という概念、義経からではなく、元からあった。
    保元の乱では、源氏が別れ、父・義朝が叔父・為朝と戦うことになったが、為朝は兄が夜襲を仕掛けてくると進言し、それに備えていた。
    そして、その通りに朝廷側は清盛を先陣として夜襲を仕掛けてきた。平家勢は為朝が防いだが、後詰の義朝勢が「御所への火攻め」という思い切った戦法に出たため、崇徳上皇側は敗北した。

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