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 反日種族主義 日韓危機の根源
 「小児性愛」という病 ―それは愛ではない
 産まれてすぐピエロと呼ばれた息子
 勉強が死ぬほど面白くなる独学の教科書

ヒロイモノ中毒今週のイチオシ記事
漫画を3作以上ヒットさせた漫画家、存在しない


1 :癒されたい名無しさん:2008/04/07(月) 12:27:24 ID:ulMXzlSe
昨年暮れに母を亡くしました
当時は辛い日々をおくっていましたが
今では普通の生活に戻れました

母親の泣ける話をください、時には泣いてすっきりしたいです
コピペでも創作でも実話でもかまいません
よろしくお願いします。




    


3 :癒されたい名無しさん:2008/04/07(月) 15:40:50 ID:zPttUDzo
手が震えて玉子焼きが上手く作れないコピペあったな
あのお母さんも亡くなってたような、、、





4 :癒されたい名無しさん:2008/04/07(月) 16:02:10 ID:zPttUDzo
探したらあった


私の母は昔から体が弱くて、それが理由かは知らないが、
母の作る弁当はお世辞にも華やかとは言えないほど質素で見映えの悪い物ばかりだった。
友達に見られるのが恥ずかしくて、毎日食堂へ行き、お弁当はゴミ箱へ捨てていた。
ある朝母が嬉しそうに「今日は〇〇の大好きな海老入れといたよ」と私に言ってきた。
私は生返事でそのまま学校へ行き、こっそり中身を確認した。
すると確かに海老が入っていたが殻剥きもめちゃくちゃだし、彩りも悪いし、
とても食べられなかった。
家に帰ると母は私に「今日の弁当美味しかった?」としつこく尋ねてきた。
私はその時イライラしていたし、いつもの母の弁当に対する鬱憤も溜っていたので
「うるさいな!あんな汚い弁当捨てたよ!もう作らなくていいから」とついきつく言ってしまった。
母は悲しそうに「気付かなくてごめんね…」と言いそれから弁当を作らなくなった。

それから半年後、母は死んだ。私の知らない病気だった。
母の遺品を整理していたら、日記が出てきた。
中を見ると弁当のことばかり書いていた。
「手の震えが止まらず上手く卵が焼けない」 日記はあの日で終わっていた。
後悔で涙がこぼれた






5 :癒されたい名無しさん:2008/04/07(月) 16:11:15 ID:gojvfHfl
>>4 ゚。(p>∧<q)。゚゚





7 :アキ:2008/04/07(月) 22:09:06 ID:9I4vUdnc
母のことを文にするのは人生で2回目だ。
一回目は・・小学校6年生の時の参観日の『家族について』で母のことについて書いた。
今日で2回目だ。私が小さい頃から母は精神的な病気で入退院を繰り返している。
『育児ノイローゼ』だとか『精神分裂症』だとか聞かされていた。
自分のことを『私はマリーアントワネット』だ。とも言っていた。
小学生の頃、『今日からこの家に帰ってこなくていい。』と捨てられた。
でも帰る所のない私は家へ帰った。
ドアを叩いても出てくれない。小さなボロいアパートだ。中に居るのはわかる。
夜遅くになり、電気が点いた時にドアを叩くと何もなかったように中に入れてくれた。
その月に入院が決まった。
入院する直前には、家族のこともわからなくなり、敵視されていた。
『どこか知らない場所に連れて行かれてたまるもんか!!』と・・。
収拾がつかないので、救急車で母を病院に連れて行った。
暴れていた。『殺されるっっ!!』とも叫んでいた。
小さいながらにも痛々しくて、涙が出た。
もう母に会えないんではないかと・・。
救急車に運ばれて行ってからの部屋はガランとしていた。
家はとても貧乏で父が家に帰って来なかったら食費すらなかった。
週に1,2度しか帰って来ない父。食事も貧相なものだった。
でも、病気の症状が出るまでの母はとても明るく振る舞い、『今日はお母さんお腹空いてないから、あんたらいっぱい食べ!!』と笑っていた。
家にお金がある時に見よう見まねで作らせてくれた、私の料理を残さず食べてくれた。
母がいなくては生きていけないとさえ思った。
なのに・・今、あなたのことを恥じている自分がいる。
なぜ、あなたの子に生まれたのだろう?
なぜ、自慢できる母じゃないのだろう?
なぜ、あなたは病気なの?
なぜ、自分は捨てられたのだろう・・と。
もう何年、喋ってないだろう。
今は社会復帰もできない母。
私の名前を覚えているだろうか?
顔を見て『あき』と呼んでくれるだろうか?
あの一番最初にあなたのことを書いた時には、あなたが居たかどうかは覚えてません。
でも、あなたへの手紙を書いていたのに泣いて読めなくて先生に読んでもらったことは覚えている。
本当に大好きだった母。私はまだ、あなたにかける言葉が見つかりません・・。
なんて呼べばいいのかもわかりません。
あなたは私のこと、覚えてますか?






8 :癒されたい名無しさん:2008/04/09(水) 05:00:36 ID:EgiCzkky
私の父は私が5歳のときに白血病で亡くなりました。
それからは母が働き、祖母が私と弟の面倒をみるようになりました。
母は、仕事を始めてからは料理はしないし、
洗濯もしないので、家事は全て祖母がやっていました。
だから私は母親の手料理の味を覚えていません。
母はそういう面では母親らしい人ではありませんでした。
でも私はそんな母が大好きでした。
身だしなみにすごく気を使っていたので友達のお母さんよりも綺麗でした。
音楽やファッションもわりと若々しく、友達のような感じでした。

そんな母が、乳癌だとわかったのは私が小学校6年生の時でした。
そのときは本当に驚いたのですが、手術をすれば大丈夫だと思っていたので
お母さんはすぐに元気になるんだ、と思っていました。
そのとおり、摘出手術をしてからは仕事にも無事復帰。
通院は続いていましたが、私は根拠のない大丈夫を信じていました。
私が中学1年生の夏ごろ、癌細胞が肝臓に転移しているのがわかりました。
私は癌に全然詳しくなかったので、また手術すればすぐに治る、と思っていました。
しかし、容態は良くなる気配を見せず、母は見る見るうちに衰えていきました。
仕事も辞め、家と病院を行き来する毎日が続きます。
抗がん剤の作用で髪が抜け落ちたり、吐き気がひどかったりすることもありました。
そして私が中学二年生の夏ごろから入院生活になりました。
それでも心のどこかでわたしのお母さんが死ぬわけない、と思っていました。
最初の頃はたくさんお見舞いも行きましたが、だんだんその回数も減っていきました。
冬のはじめのある日、母から電話がきました。
「ちゃんとおばあちゃんの言うこときいてね。お手伝いもちゃんとしなきゃだめだよ」
すごく疲れた声でした。
(つづく)






9 :癒されたい名無しさん:2008/04/09(水) 05:03:22 ID:EgiCzkky
(つづき)
それから一週間後の早朝に、母は亡くなりました。
母が亡くなる前日の夜、なぜか私はすごく不安になり、しばらく眠れなかったのを
覚えています。
祖母から電話がきて、早く弟と一緒にタクシーで来てといわれ、弟とタクシーで病院へ
向かいました。
そのときは全く実感がわかなく、そして弟を不安にさせちゃいけないと思い、
すごく冷静だったと思います。
母の病室のある階につき、祖母の震えた声で私たちを呼ぶ声が聞こえた瞬間、
糸が切れたように涙がでてきました。
あぁ、本当にお母さんは死んでしまったんだ、と。

亡くなる直前の母は、モルヒネによる副作用で、幻覚がみえたりして
とてもやつれていたそうです。
だから本当はあまり私や弟にお見舞いにきてほしくなかったそうです。
髪の毛がないこともたぶんとても気にしていたと思います。
最期の最期まで、母は私の母らしい人でした。

祖母から聞いた話ですが、母は亡くなる前、
○○(弟の名前)が高校卒業するぐらいまでは生きたいな、と言っていたそうです。
その話を聞いて、また涙がでました。

お母さんに会いたいです。
会ってたくさん話したいです。
学校のこと、部活のこと、音楽のこと、たくさんたくさんきいて欲しいです。
以前より成長した今の私なら、お母さんとたくさん語れる気がするよ。
これからはおばあちゃんの手伝いをしたりして、お母さんに心配かけないようにするね。
今でもたまにお母さんの夢をみて泣いてしまうことはあるけど、私は大丈夫です。
次に会うときは、たくさんわたしの話聞いてね。
おもしろい話たくさん用意しておくね。

長文・乱文すみませんでした。
読んでいただきありがとうございました。






10 :のん:2008/04/09(水) 20:30:41 ID:SkVL7fe2
これは私の実話です。
ママは中国人です。
日本人である父親と結婚するために、
国の家族と離れた日本でがんばッて暮らすことにしたそうでした。
父親は結婚して、ママに日本語を懸命に教えました。
それでママも日本語が上手になッたようでした。
そんな中、うちのお姉ちゃんが日本で生まれました。
そして、中国に帰国した時、私が生まれました。
でもね、うちが物心ついた頃には…
ママは毎日、ことあるごとに父親に殴られるようになってしまってた。
そして、あからさまに、父は不倫を続けてた。
父の暴力はウチ等に向けられることも度々あった。
でも、そのたびにママがかばってくれて、ウチ等の替わりに殴られてた。
ウチ等はいっつも、そんなママの腕の中で、ただただ泣いてることしかできんかった。
お母さんは一回だって、泣いたことがなかった。
いつも笑顔で、「大丈夫」としか言ってくれんかった。
その頃のうちは小学校低学年。
だから、ママがいくら殴られても、お父さんの恐怖は感じれるのに、
笑顔で大丈夫ってゆうお母さんの辛さを、全く気付いてあげれんかった。
本当に辛くないもんだと思ってしまってた。
どんなに辛くてもママが離婚せんかったのは、
多分極度の負けず嫌いだったからだと思う。
絶対大丈夫だって大見得切って、
猛反対された日本人との結婚を成功させて…
それなのに離婚しちゃったら、中国に置いて来た家族に顔向けできないじゃんね?
そんなちょっとしたプライドのために…
あんなに傷付かんでも、良いじゃんね。
うちには絶対真似できん。
お母さんが口うるさく怒るのは、
ウチ等に立派な大人になって欲しいから。
そんなこと、小学校低学年なウチには全く理解できとらんかった。
どんなにママがウチ等を愛してくれとったんか、
全く理解できとらんかった。
じゃけぇ度々、ママなんか大ッ嫌ぃッてゆっとったし、
ママなんか死んじゃえッて、めっちゃ言いまくっとった。






11 :のん:2008/04/09(水) 20:32:28 ID:SkVL7fe2
・続き・
ウチが小学校3年生の頃、
お姉ちゃんは小学校6年生で、受験シーズンだった。
お父さんの暴力をいっぱい見てきたお姉ちゃんは、
暴力の重さが分からんくなっとった。
受験のストレスをめいっぱいウチにブツけてきた。
酷い暴力をいっぱい受けた。
家族で1番小さくて無力なウチは、そのストレスのブツけどころがどこにもなくて…
いっつもママに当たってしまっていた。
自由帳の丸々一ページにでっかく、「ママなんか死んじゃえ」って書いた。
ママの悪口しかかけなかった。理由は簡単。
お姉ちゃんとか父の悪口書いてバレたら、後が怖いから。
でもウチは、ママが世界で一番大好きだった。
お姉ちゃんの受験結果を発表する日がやってきた。
女学院は補欠、安田は合格、といった結果だった。
安田に受かったお祝いに、家族皆でお祝いすることになった。
その日は、ママがウチのコップを落として壊しちゃった。
ウチは泣きながら、「ママなんか大っ嫌い!死んじゃえっ!!」って言った。
ママは「ごめんね」って言って、静かにコップの破片を拾った。
ウチは不機嫌なまま、タクシーに乗ってお姉ちゃんのお祝いをする中華料理店に向かった。
その頃にはもうお母さんは笑顔で、うちも笑顔で、
「かんぱーい」って言って、ビールを飲もうとした。
その時、ママは泡を吹いて、唸りながら自分の顔を机の上に押し付けた。
ウチとお姉ちゃん、おばあちゃんは大パニックで救急車を呼んだ。
ママは病院に運ばれた。
意識不明で、重体。
ママは病気だった。
病名は、脳梗塞。
ウチはママに死ねって言ったことを、酷く後悔した。
ママが看護婦の人にオムツを替えてもらってた。
オムツには排泄物がついてた。
うちはそれを「汚い」って思ってしまった。
ママに家族全員で手紙を書いた。
父はママが倒れたことで、本当に反省して、手紙を書いてた。
ウチ等は家族全員で書いた手紙を泣きながら読み上げた。
お母さんの心電図が、父の手紙を読んだ時、大きく動いた。
・続く・






12 :のん:2008/04/09(水) 20:33:21 ID:SkVL7fe2
・続き・
もしかして、父の手紙に反応してる!?
ウチは悔しかった。
家族で一番ママを好きな自信があった。
父よりママを大切にしてる自信があった。
でも、これを読み続けたらもしかしたら…
ママが目を覚ましてくれるんじゃないかな?
そんな淡い期待を抱いて、何回も父の手紙を声に出し読み返した。
でも、ママの心電図は元に戻っちゃって…
それ以降動くことはなかった。
ママが意識不明の重体で、病院で寝込んでる。
なのにウチは、小学校に行かされた。
2日後、ウチが小学校に行ってるうちに、ママが死んじゃった。
病院にお見舞いに行く度にウチは涙を流してた。
なのに、ウチは泣けなかった。
皆泣いてた。父も泣いてた。
なのに、ウチだけ、泣けなかった。
ママが死んだことを、自分は悲しんでないのかな?
そんなことを考えちゃって、悲しくなった。
でも絶対に、涙は流れなかった。
骨を拾った。
ママの頭蓋骨の一部が、赤く染まってた。
これはママの血?ってきいたら、そうではないらしかった。
喉仏の紹介とかされた。
別にどーでも良かった。実感なんて、沸かなかった。
それが人の骨である、ということさえ、忘れていたかんじ。
通夜が終わって家に帰って自由帳を取り出した。
「ママなんか死んじゃえ」って言う文字を
「ママ、がんばって、生きぬいて」に変えてた。
もうママは死んじゃってるのに。
今更書き換えたって、ママが帰ってくるわけじゃないのにね。
無意識にした行動だった。
・続く・






13 :のん:2008/04/09(水) 20:33:56 ID:SkVL7fe2
・続き・
ママが居ないことが悔しくて、両親が離婚してる男友達を馬鹿にした。
そしたら、「お前の母ちゃんなんて死んでるくせに」って言われた。
なのにウチは、笑ってた。
「お前バカだろ」って言ってた。
これも無意識だった。
今、うちは中学2年生。
絶対に「死ね」と「殺す」は言えんくなった。
絶対に、暴力だけはふるえんくなった。
今でもドアのノックが聞えると、
ふと「お母さん?」って思ってしまう。
解約したママの携帯番号に、電話をかける。
まだ繋がってる気がするから。
「ママ、死んじゃった」
簡単に言えるのに。
まだママが帰ってくるって、心のどこかで信じてる自分が居る。
きっとウチはまだ、
ママが死んだことを
認めきれずにいるんだと、思う…。
認めなきゃ、いけないね。
頭は分かってるんだけど
もしかしてって…
心がついていけないの。
もっと、大事にしてればよかった。
死ねなんて言わなければ良かった。
ママの笑顔、大好きです。
ママの笑顔、忘れられません。
のんは、ママが、世界で一番大好きです。
長文な上、乱文で、お目汚し失礼いたしました。
読んでくれて、ありがとうございました。
がんばって、認めたいと思います。
これに書いたことで、お母さんの死を、認められた気がします。
本当に、ありがとうございました。






14 :癒されたい名無しさん:2008/04/10(木) 11:55:15 ID:gYuIsZaw
良スレ発見
もっとください





15 :のん:2008/04/10(木) 20:27:55 ID:FSgHebp6
お母さんの体は手術に耐えられない状況にあるって言われて、
手術もできんかったし。
結局女学院にお姉ちゃんが受かれたことも(補欠受かり)、
お母さんは知ることできんかった。
それがスゴク、今でも悔しいです…。
↑文章に入れてませんでした;;
感情のまま書き綴ったので、抜けてることに気付かず、
付け加えることになりました;;
すみません;;
本当に、ありがとうございました。







16 :癒されたい名無しさん:2008/04/11(金) 00:35:40 ID:T9msUUnT
本当に大切なモノは、失ってみて初めてそれに気付かされる…悲しいことだけれど、誰もがそうなんだよな…。

こちらこそ、良文を有難う。





19 :癒されたい名無しさん:2008/04/26(土) 12:26:04 ID:JHNFfHFa
京都市伏見区桂川河川敷で2月1日、無職片桐康晴被告が、
認知症の母親を殺害して無理心中を図ったとみられる事件の初公判が19日に行われた。
事件内容は認知症の母親の介護で生活苦に陥り、母と相談の上で殺害したというもの。
片桐被告は母を殺害した後、自分も自殺を図ったが発見され一命を取り留めたとの事。
片桐被告は両親と3人暮らしだったが、95年に父が死亡。その頃から、母に認知症の症状が出始め、一人で介護した。
母は05年4月ごろから昼夜が逆転。徘徊で警察に保護されるなど症状が進行した。
片桐被告は休職してデイケアを利用したが介護負担は軽減せず、9月に退職。
生活保護は、失業給付金などを理由に認められなかった。
介護と両立する仕事は見つからず、12月に失業保険の給付がストップ。カードローンの借り出しも限度額に達し、デイケア費やアパート代が払えなくなり、
06年1月31日に心中を決意した。

「最後の親孝行に」
片桐被告はこの日、車椅子の母を連れて京都市内を観光し、2月1日早朝、同市伏見区桂川河川敷の遊歩道で
「もう生きられへん。此処で終わりやで。」などと言うと、母は
「そうか、あかんか。康晴、一緒やで」と答えた。片桐被告が
「すまんな」と謝ると、母は
「こっちに来い」と呼び、片桐被告が母の額にくっつけると、母は
「康晴はわしの子や。わしがやったる」と言った。
この言葉を聞いて、片桐被告は殺害を決意。母の首を絞めて殺し、
自分も包丁で首を切って自殺を図った。
冒頭陳述の間、片桐被告は背筋を伸ばして上を向いていた。肩を震わせ、
眼鏡を外して右腕で涙をぬぐう場面もあった。
裁判では検察官が片桐被告が献身的な介護の末に失職等を経て追い詰められていく過程を供述。
殺害時の2人のやりとりや、
「母の命を奪ったが、もう一度母の子に生まれたい」という供述も紹介。
目を赤くした東尾裁判官が言葉を詰まらせ、刑務官も涙をこらえるようにまばたきするなど、法廷は静まり返った。






24 :癒されたい名無しさん:2008/05/07(水) 22:47:15 ID:IQT3NJKe
幼い頃に父が亡くなり、母は再婚もせずに俺を育ててくれた。学もなく、技術もなかった
母は、個人商店の手伝いみたいな仕事で生計を立てていた。それでも当時住んでいた
土地は、まだ人情が残っていたので、何とか母子二人で質素に暮らしていけた。

娯楽をする余裕なんてなく、日曜日は母の手作りの弁当を持って、近所の河原とかに
遊びに行っていた。給料をもらった次の日曜日には、クリームパンとコーラを買ってくれた。

ある日、母が勤め先からプロ野球のチケットを2枚もらってきた。俺は生まれて初めての
プロ野球観戦に興奮し、母はいつもより少しだけ豪華な弁当を作ってくれた。

野球場に着き、チケットを見せて入ろうとすると、係員に止められた。母がもらったのは
招待券ではなく優待券だった。チケット売り場で一人1000円ずつ払ってチケットを買わ
なければいけないと言われ、帰りの電車賃くらいしか持っていなかった俺たちは、外の
ベンチで弁当を食べて帰った。電車の中で無言の母に「楽しかったよ」と言ったら、
母は「母ちゃん、バカでごめんね」と言って涙を少しこぼした。

俺は母につらい思いをさせた貧乏と無学がとことん嫌になって、一生懸命に勉強した。
新聞奨学生として大学まで進み、いっぱしの社会人になった。結婚もして、母に孫を見せて
やることもできた。

そんな母が去年の暮れに亡くなった。死ぬ前に一度だけ目を覚まし、思い出したように
「野球、ごめんね」と言った。俺は「楽しかったよ」と言おうとしたが、最後まで声にならなかった。






30 :癒されたい名無しさん:2008/05/23(金) 19:49:09 ID:g2c5B/AC
>>24
俺の母は、「サッカー靴、買えなくてゴメン」だった。
急に思い出したように言い出した。
俺は、「結果的にバスケできて良かった」と言ったが、
それでも月日が経つと、急に思い出したように言った。

母親の、子供に対する愛情の質は、俺の、母親に対する愛情
の質を、遥かに上回るってか深いわ。





29 :癒されたい名無しさん:2008/05/21(水) 22:00:31 ID:ifXGhl2i
こんなスレあったのか。
俺もつい最近めっちゃ好きだった母がなくなった。
急すぎて心の準備もなかったから最初は夢みたいな感じ。
俺には父もいないし、病院での手続きにはじまり葬儀の手続きなど
忙しく時間がすぎていくな。ふとした時に涙がでてくるわ。
泣いてたら心配されるかもしれんけどいきなり涙でるし許してな。
涙でるのは優しすぎたからかな。
悲しさもあるけど母さん一人でここまで育ててくれた事の感謝の気持ち
でいっぱいです。ありがとう母さん。





34 :癒されたい名無しさん:2008/05/29(木) 23:35:03 ID:rZkqVRAH
15年前の話です。

今でもそうだが人付き合いの苦手なオレは、会社を辞め一人で仕事を始めた。
車に工具を積み、出張で電気製品の修理や取付の仕事。

当時まだ携帯電話は高価で 俺は仕事の電話をポケベルに転送し、留守電を聞いて
お客さんに連絡するという方法しか取れなかった。生活さえギリギリだった。

ある日 母親が九州の実家から関東の俺の家まで訪ねてきた。遠くから来た親を
いたわることもせず、無愛想な俺、ホントにバカだ。俺を心配し、掃除、洗濯 料理を
作り山ほど食糧を置いて母は帰郷した。バカ息子は見送りもしない。

仕事から帰宅した俺は母の手紙を見つけた。「仕事頑張って下さい、少しですがこれで
携帯電話でも買って声を聞かせて下さい。」手紙にはお金が同封されていた。
手紙を手に俺は、わあわあ泣いた。 

カメラやメールなんて出来ない。メモリーも50件しか入らない初期の電話。
でもこの電話にどれだけ助けられただろう。俺には最高の宝物。

母の日に電話を送った。ちゃんとお礼をいわなければ。
「おかあさん どうもありがとう」と。






38 :癒されたい名無しさん:2008/06/01(日) 00:40:08 ID:qqBsFDWn
J( 'ー`)し
    自分が多少つらくても、腰痛くても頭痛くても、子供が元気にしてくれてるのがすごく嬉しいの。
    元気そうな子供の姿見たり声聞いてるとね、本当に嬉しいの。
    別に感謝してくれたり、無理に気にかけてくれたりしなくていいの。
    苦労して育てた自分の子供が、自分の足で立って人生歩んでくれることが、何より嬉しい。

    悩んでる、行き詰ってる子供を見るのは本当につらい。
    何とかしてあげたい、どうにかしてあげたいんだけど、私じゃ何もしてあげられない。
    余計な口出ししちゃって、後悔する事もある。
    アナタにはアナタの考えがちゃんとあるのにね。
    でも、見守るだけしかできないのはつらい。苦しんでる姿見ると、心が張り裂けそうになる。
    親なのに、何でこんなにも、何もしてあげられないんだろうって、情けなくなるよ。


    今楽しいアナタへ。アナタが楽しく生きているという事実が、お母さんの生きがいです。

    今苦しいアナタへ。何もしてあげられなくてご免なさい。頼りなくて本当にごめんなさい。
    でも、つらくても生き抜いてください。
    お願いだから、自暴自棄になったり、自分を卑下したりしないでください。
    生きる場所は必ずあります。生きる道は必ずあります。
    アナタが、もがいて、もがいて。そこに辿り着くことを毎日祈っています。
    私にできることが何かあるなら、どうか言ってください。
    誇大表現でも何でもありません。アナタが強く生きてくれることが、お母さんは自分の命よりも大事です。



上のコピペ見ると泣けてくる…

かーちゃんにもらったたくさんのやさしさを誰かにあげるのが
満足に親孝行できなかった僕のせめてもの償い。

ガキの頃に悪さばかりしてかーちゃん泣かせた分、
1000倍返しにして笑ってもらおうと決めたのに…

かーちゃん、僕は元気でやってるよ、心配しないで。
貴女が一生懸命育てた息子だもん、自信持ってよ、安心してよ。

胸を張って生きていくよ、僕のかーちゃんは世界一だ、僕は世界一のかーちゃんの息子だ!って。


でも願いが一つだけ叶うならもう一度だけかーちゃんの作った料理が食べたいな。

僕が年取ってそっちに逝ったら色んな話を聞かせてやるから、のんびりしながら待ってろや!

もう一度言う、僕のかーちゃんは世界一だ!






64 :癒されたい名無しさん:2008/07/20(日) 00:02:18 ID:vCfXtTj/
自分で読み返して見て釣りっぽいなあと思ったけど一応実話。

九州の田舎に生まれた。母子家庭だった。
歯科技工士だった父は私が4歳の頃、くも膜下出血で他界。
自営業だったので厚生遺族年金も労災も下りず、仕事関係の機械や車のローンも有り
生活はかなり苦しかったwww

母は介護施設の職員で、土日祝関係なく働き、残業は当たり前。
夜勤も月8回ほど有り、休みは少なく、祖母が面倒を見てくれた。

その後激務で体を悪くした母は、独学で資格を取り、民間病院の医療事務に転職。
勤務時間は短くなり、身体的な負担も減ったが、正社員なのに手取りは11万。
頼りにしていた祖父母も立て続けに他界し、学校に秘密で青果店でアルバイトもした。

それなりに偏差値の高い公立高校に通っていた私は看護師を志願していたんだけど
寮のある県立看護学校ですら通える経済状況ではなかった。今思えば通えないことはなかった気もするが。
その時自衛隊の看護学生の募集を知った。採用されれば学生でも自衛官扱いで給料をもらえる。学費も寮費も無料。
もうこれしかないと思って必死に勉強した。倍率は60倍を超えていた。

合格したのは奇跡だったと思う。
もちろん合格できなくても、働いてお金を貯めて県立看護学校に奨学金借りてでも看護師になってたと思う。
これは後で思ったことだけど、この時落ちてたら良かった。

看護学生になったと同時に自衛官として採用され、東京にある自衛隊の全寮制看護学校に進むことになった。

新幹線に乗り九州から上京する朝、母は駅まで迎えに来てくれた。
私はまたいつでも会えるだろうと思っていたが、母は最期の別れのような顔をしていた。私はそれを笑い飛ばした。
ただただ希望で胸がいっぱいだった。



つづく






65 :癒されたい名無しさん:2008/07/20(日) 00:04:39 ID:utWOo3zZ

自衛隊での看護の勉強は厳しかった。採用されたからには必ず3年後の国家試験に合格しなければならない。
1限目から7限目までぎっしり授業が入っていて、沢山の課題やレポートや試験勉強に追われた。
自衛隊だけあり礼儀に厳しく、門限もあり、自由に外出もできなかった。
自衛隊中央病院での実習もハードで、同じ部屋のルームメートは2人とも辞めてしまった。

忙しくて母と連絡を取る余裕もなかったが、実家に毎日8万の送金は必ずしていた。
無事に国家試験に合格した私は2等陸曹に昇格した。
休む暇もなく自衛隊病院での勤務と幹部候補生試験の勉強に追われた。
その試験に受かって尉官になれたら故郷に帰ろうと思っていた。
毎月に一度の送金すら面倒になり、半年に1度60万送金するようになった。

陸官になれた時には、九州を出てからもう8年が経っていた。
8年と考えると長いが、勉強と仕事に追われた自分にとってはあっという間だった。
もう8年も母に会ってないんだと思うと不思議な感じがした。
あの駅で別れた母がもう8歳も歳をとったのかと思うと想像がつかなかった。

だが、東京と九州は決して短い距離ではない。
なんだかんだで結局故郷に帰れず、いつの間にか30を迎えようとしていた頃、叔父から電話が来た。

母が他界した。胸部大動脈瘤。享年63歳。

新幹線に乗り九州から上京する朝、母は最期の別れのような顔をしていた。私はその意味がようやく分かった。

10年ぶりに母と再会した。当たり前だが、母は10歳も年をとっていた。
こんなに老けたのか、と思った。私の記憶の中の母とのギャップに落胆した。

どうしていつでも会えると思っていたんだろう。どうして東京になんて出たんだろう。
10年も、母に会えなかった。最期の10年を一緒に過ごせなかった。母は一人寂しく10年を過ごした。
苦労して育てた一人娘に死ぬまで10年会えず、娘の結婚相手にも会えず、孫の顔も見れずに死んだ。10年前に戻りたいと思った。
ただ10年間お金を送金し続けただけだ。その金額は1000万を軽く超えていた。親孝行ができなかった。
時間を取り戻したいと思った。

私は退職した。実家から一番近い民間病院に就職した。母が事務をしていた病院ね。
師長に「あなたみたいな立派な経歴の人がなぜこの病院を?」と聞かれたとき
自分の10年が無駄なものだったことを再確認した。

母がよく私を話をしていたと、事務の女性から聞いた。
私を東京に出した時点で、簡単に会えなくなるだろうということは分かっていたらしい。
私に会えなくて寂しいと何度も零していたらしい。それを聞いてまた泣いた。後悔ばかりだった。

それから4年たった。私は結婚した。働き者で真面目で優しい人。
母に会わせたかった。悩みといえば義母とかなり仲が悪い事と、子宝に恵まれないことくらい。結構重大な悩みだよね。
いまだに後悔は続いているが、母のためにもこれからの人生を精一杯生きて行くことしかできないと






66 :癒されたい名無しさん:2008/07/20(日) 03:34:44 ID:gowqCqev
>>65
早く子宝を授かるといいですね。最近は不妊治療にも保険が適用されるので
行ってみてはいかがでしょう。子供を産んで、お母さんのためではなく、
自分と子供と旦那さん、家族のために生きていきましょうよ。子供にはあなたの
お母さんがしてくれたことにTURBOかけて尽くして、母親として立派にやってるよって
報告してあげるのが一番の孝行だと思います。忌の際もあなたのことを考えていたと
思います。送金以外で直接孝行できなかったことは悔やまずに。俺なんか送金すら
できずに逝かれて、もう10年になるけど引きずりっぱなしですよ。あなたは立派ですよ。





70 :癒されたい名無しさん:2008/07/28(月) 19:35:28 ID:aN3T+u/K
まだ高校1年生の時の話です。
私は演劇部に入ってました。
強豪校だったので、練習はきつくて、毎日のように先輩方に怒られて、先生にも
散々に言われて。
でも絶対にこの人たちの前では泣くまい、泣いて堪るもんかって思ってました。
自転車を漕ぎながら、声を殺して泣いていました。

そんな中で一度調子を崩して、3日ぐらい休んだんです。部活を。
でも本番前なんだから出なきゃいけないのにって思い詰めてしまって、逆に悪化
してしまったんです。厳しい部活だったもので。
どうしようどうしよう、先輩とか先生に何て言われるか分からない、孤立したら
どうしようって母に泣きながら聞きました。
そうしたら、母は私の手を握って言ったんです。

「大丈夫、ママはちゃんと○○(私の名前)の味方だよ」

その一言で涙腺が崩壊してしまって、夜中ずっと泣いてしまいました。
結局その後、本番はちゃんとやってから転部して、今は何とかやってます。
母の言葉って凄いですね。
今、思い返してこれを書きながら、また涙が出てきてます。


私が6歳の時離婚して以来、女手ひとつで育て上げてくれた母。
今度は「私はママの味方だからね」って言ってあげたいです。
釣りみたいだけど、実話です。






73 :癒されたい名無しさん:2008/08/04(月) 00:46:07 ID:X56OPCoJ
やばい涙腺が…





100 :癒されたい名無しさん:2008/09/12(金) 19:47:11 ID:YnlT/3f2
35歳無職、こづかいは祖母から、毎月貰ってます。
趣味は公園で女の子をとの会話。
母が泣ける話でした。


父は怒ってます。






102 :癒されたい名無しさん:2008/09/16(火) 03:17:52 ID:Y07cnsWg
母の話と聞いてやってきましたよ

母のおなかを殴った記憶がある

小学校5年生のときの、確か授業参観日だったかな
体育の授業で、親も参加してのドッジボールで、
ルールは
 親に当たっても退場しない
 子に当たったら親と一緒に退場
 外からボール投げるのは子だけ
 復活なし‥
ってかんじだったかな?よく覚えてないや

今考えると俺の母は太った体で俺のことを守ってくれてたんだな
でも当時の俺には邪魔してるようにしか思えなくて、
ゆるいボールがきて俺がキャッチしようとしてるのに立ちふさがる母
そんでね、取れなくて、悔しくて握ったコブシをね
母の腹に叩き込んだ。
そのとき母はわずかに顔を歪ませながらにっこり笑って
「ごめんね」って、言ったのよ

その日以来、母に親孝行は、してきたつもりだった

んで先月なんだけど
小4の息子に八つ当たりのようにハラ殴られたのが
ゲロ痛かったのね
肉体労働のこの俺が。
でも本当に痛かったのは、あの思い出の方で。
それと「親孝行してきました」なんてツラ下げて生きてきた俺の姿を思い返して
ホント吐いた。嗚咽したよ

息子びびってたね。
でも思春期になったらコイツ俺のことナメて来るんだろうな
そのとき俺はどうするかわからんが

あの時母は にっこりわらったんだったな


母はまだ元気だ
でも、過ぎた日を取り戻す親孝行なんて できない
母生きてんのに 生きててくれてんのに

だからこの辛さを一生胸に刺したまま
母と、
この体に流れてる血と、
そしてこの血脈を継いでくれた妻と息子の幸せを
一生懸命考えるよ
ってなことを丁度思ってたところでしたよ

長文駄文でごめん






108 :癒されたい名無しさん:2008/10/29(水) 22:34:00 ID:iWflb3x4
俺、小さい頃に母親を亡くしてるんだ。
それで中学生の頃、恥ずかしいくらいにぐれた。
親父の留守中、家に金が無いかタンスの中を探しているとビデオテープがあったんだ。
俺、親父のエロビデオとかかな?なんて思って見てみた。
そしたら・・・

病室のベットの上にお母さんがうつってた。
『〇〇ちゃん二十歳のお誕生日おめでと。なにも買ってあげれなくてゴメンね。
お母さんがいなくても、〇〇ちゃんは強い子になってるでしょうね。
今頃、大学生になってるのかな?もしかして結婚してたりしてね・・・』
10分くらいのビデオテープだった。
俺、泣いた、本気で泣いた。
次ぎの瞬間、親父の髭剃りでパンチパーマ全部剃った。
みんなにバカにされるくらい勉強した。
俺が一浪だけどマーチに合格した時、
親父、まるで俺が東大にでも受かったかのように泣きながら親戚に電話してた。
そんで、二十歳の誕生日に、案の定、親父が俺にテープを渡してきた。
また、よく見てみたら。
ビデオを撮ってる親父の泣き声が聞こえてた。
お母さんは、笑いながら『情けないわねぇ』なんて言ってるんだ。
俺また泣いちゃったよ。
父親も辛かったんだろうな、
親父にそのこと言ったら、知らねーよなんて言ってたけど、
就職決まった時、
親父が『これでお母さんに怒られなくて済むよ』なんていってた。






109 :癒されたい名無しさん:2008/10/30(木) 00:17:03 ID:EPzTr0kc
>>108
いい話㌧





110 :癒されたい名無しさん:2008/10/31(金) 22:32:12 ID:1MDULyGB
サキちゃんのママは重い病気と闘っていたが、死期を悟ってパパを枕元に呼んだ。
その時、サキちゃんはまだ2歳。
「あなた、サキのためにビデオを3本残します。
 このビデオの1本目は、サキの3歳の誕生日に。2本目は小学校の入学式に。
 そして3本目は…○○○の日に見せてあげてください」
まもなく、サキちゃんのママは天国へと旅立った。

そして、サキちゃんの3歳の誕生日。1本目のビデオがかけられた。
(ビデオからつないだテレビ画面に、病室のママが映し出される)
「サキちゃん、お誕生日おめでとう。ママ、うれしいなぁ。
 でもママはね、テレビの中に引っ越したの。だから、こうやってしか会えない。
 パパの言うことをよく聞いて、おりこうさんでいてね。だったら、ママ、また会いに来ます」

サキちゃんの小学校入学の日。2本目のビデオ。
「サキちゃん、大きくなったネ。おめでとう……。ママ、うれしいな。どんなにこの日を待っていたか。
 サキちゃん、ちゃんと聞いてね。
 ママが今住んでいるところは、天国なの。だから、もう会えない。
 でもね、パパのお手伝いがちゃんとできたら、ママ、もう一回だけ、会いに来ます。
 じゃあ、魔法をかけるよ。 エイッ!
 ほうら、サキちゃんは料理や洗濯ができるようになりました」

そして3本目のビデオ。そのタイトルは、こう書いてあった。

新しいママが来た日のサキちゃんに

そしてサキちゃんが10歳の時、パパは再婚し、新しいママが来た。
3人いっしょに、3本目のビデオを見つめた。
なつかしいママの顔が映し出された。
「サキちゃん、おうちの仕事、がんばったね。えらかったね。
 でも、もう大丈夫。新しいママが来たんだから。
 ……
 サキちゃん。今日で本当にお別れです。
 ……
 サキちゃん、今、身長はどれくらい?ママには見えない。
 (泣き崩れ、カメラを抱え込む姿が映る)
 ママ、もっと生きたい…。
 あなたのために、おいしいものいっぱいつくってあげたい…。
 あなたの成長を見つめていたい…。
 じゃあ、サキちゃん、これがママの最後の魔法です。
 それは、『ママを忘れる魔法』です。
 ママを忘れて、パパと、新しいママと、楽しい暮らしをつくってください。
 では、魔法をかけます。1、2、3、ハイッ!」
そこでビデオは終わった。

しかし、サキちゃんに、この魔法は効かなかった。
パパと、新しいママにも効かなかった。
ママは、みんなの心の中に、ちゃんと残っていた。

そして今度は、サキちゃんが主役の、4本目のビデオがつくられたのだった。
天国のママに見てもらうために






112 :癒されたい名無しさん:2008/10/31(金) 23:41:44 ID:1MDULyGB
79 :61 :04/07/27 05:37

すいません。今まで泣いてました…
厚かましいけど、書かせてくれ。お願いします、書かせて下さい…

最近はずっと起きてる。なるべく寝ないようにしてる。
寝ても二、三時間くらい。
後、俺の家族に残された一ヶ月って時間を、出来るだけ記憶に留めておきたかったんだ。寝てしまうその時間すらも惜しいんだよ。

俺に何か出来ないか、俺に何か出来ないか、そればっか考えてる。
残念な事に、俺には何も出来ないんだよ。病気の進行は容赦ない。
母さんをすぐに蝕んでいくんだ。薬の副作用で母さんの顔がむくんで、髪がボロボロ抜け落ちていった時に、
「アハハ、お母さんブサイクになっちゃったわねぇ?!!」
って、母さんは元気いっぱいに俺に言ったんだ。

俺が病室を出ると、母さんの泣き声が漏れてきた。
俺は病院の廊下で恥ずかしながら泣いたよ。
俺の前では元気いっぱいに振舞っていたのは
親心なんだって気付いたよ。母さん、俺バカでごめん。

だから、俺が出来る事って稚拙だけど、母さんの好きな芋ようかんを買っていってやったんだよ。俺はたまに買って行ってやるんだ。
母さんが病気になる前から、給料入ったらお土産で買ってくのね。
はしゃいで、顔をくしゃくしゃにして喜んで…食べながら泣いて…

日常ってとても素晴らしいものだね。些細なことでもキラキラしている。
芋ようかんですら愛しくて、ありがたくて、
涙が出てしまうくらいのものだよ。

俺はきっとこれから、いつもの芋ようかんを買う和菓子屋を通る度に その日常を思い出して、泣いて、「ありがとう」って感謝するんだろうね。本当は眩しいくらいのものなんだよ、日常って。絶対に家族ってとてもとても眩しいものなんだよ。

だから、恥ずかしくても自分の家族にありがとうって言ってやってくれ。
暖かくてキラキラしててかけがえのないもの。
俺の中では永遠に生き続けるもの。

母さんありがとう。

…もうだめぽ。スクリーン半分涙で見えねぇよ。。。






113 :癒されたい名無しさん:2008/10/31(金) 23:42:44 ID:1MDULyGB
97 :61 :04/07/27 08:08

今は家に取りに来なきゃいけないものがあって帰ってきた。
急いでるのにウケるよね。
2chに書き込んでる暇があるならさっさと病院行けって感じだろうね。
病院行きたくないんです。



母さん、死んじゃった。


朝死ぬことねぇだろ…本当に母さんらしいね。
ほんっと、人騒がせな親だよなァ。
ねぇ、母さん。死んだら芋ようかん食えないよ?
死んだら、買って行ってあげないよ?
死んだら食べれないんだよ?

本当に急すぎて、ネタだと思われるだろ?
人騒がせだなァ…

母さん、ムカついてるでしょ?
医者にはあと一ヶ月って言われてたのにね。
一ヶ月、芋ようかん食べれたのにね。俺も買って行ってあげたのにね。

何でだよ、棺おけに芋ようかん入れたくないよ。

買って行くから、また食べてよ。
また笑ってよ。
また俺の名前呼んでよ。






114 :癒されたい名無しさん:2008/10/31(金) 23:43:14 ID:1MDULyGB
142 :61 ◆1Z4mF1mWnQ :04/07/27 20:34

最初って涙なんか出なかった。
親戚や友達に連絡して、それはもう事務的にお通夜とかの準備をしなければいけなくて。
涙を流す暇がないっていうのかな。オヤジも姉ちゃんも、同じように忙しくて悲しみにひたる余裕はないって感じでした。
忙しさに追われたから、俺は今日の一日を冷静でいれたのかも。

一度、家に帰ってくる時に三人で夕飯食べたんだ。ハンバーグ食べた。
オヤジが、「うまくないなぁ…か…」
って、言葉詰まらせてイキナリ泣き出したんだ。子供みたいに。

俺はすぐ分かった。
その、「か…」の後に続けようとした言葉がすぐに分かった。
オヤジと母さんはよく食べ歩きが好きで、うまい店があると家族サービスとかいってはよく連れて行ってくれてたんだよ、俺と姉ちゃんを。

オヤジは「うまくないなぁ、母さん」って
いつもの癖でついつい言ってしまうところだったんだろうね。
俺は黙ってた。姉ちゃんも黙ってた。
俺は泣かなかった。泣けなかった。黙って食べてた。
何かしゃべったら俺も崩れてた。

今日の夕方もむしむしと暑くて、地元のスーパーはいつも通りにぎわっててさ… 思わず寄ったよ。
特売のトウモロコシと枝豆売り場には主婦が沢山いてね
その中に母さんいるんじゃないかって、バカげた子供みたいな考えに変な期待持っちゃって。
「アツシ、トウモロコシ買ってきたから茹でてあげるからね?ッ!」
って、 一昨年の夏みたいに、笑う母さんの顔が見たかった。
こんなクソ暑い夏に、リビングで寝っ転がりながらトウモロコシを食う俺の行儀悪さをうるさく言う母さんの声が聞きたかった。

ああいうのを本当は小さな幸せって言うんだろうね。
けど、小さすぎて当たり前すぎて見えないんだよ。
いなくなってしまってから初めて分かるんだ。
それがビー球みたいにいろんな色があって綺麗で素朴でキラキラしてるって分かるんだよ、きっと。






115 :癒されたい名無しさん:2008/10/31(金) 23:43:54 ID:1MDULyGB
152 :61 ◆1Z4mF1mWnQ :04/07/27 23:57

もう今日でここに書き込むのは最後にします。
みんな色々と辛いことを乗り越えての今があるのだと思いました。

だから俺だけ弱くてうじうじしていてはいけない。みんなが通る道なんだよね。けど、今だけ俺の弱さをどうか許してください。昨日の今日では強くなれない…

悲しすぎる。

オヤジが俺に封筒を渡してきました。
葬式までに必ず読んでおけって。オヤジはその中身を知らなかったらしい。姉ちゃんの分もあるって言っていたから、母さんからのものだってすぐに分かった。

俺は本当に弱い。もっと強いものかと思っていたら全然違った。弱すぎだ。
その封筒の中身を読んで、泣きじゃくった。今も涙が止まらない。どうして2chに書き込んでいるのかもよくわからない。誰かに聞いて欲しいからかな。誰かに何か言って欲しいからかな。


「アツシへ
お母さんがこんな手紙を書くことなんてなかったからさぞかしビックリしているでしょう。
アツシも知っている通り、お母さんは後三ヶ月くらいなんだってね。今のお医者さんはすごいね、余命をすぐに言ってくるなんてね。時代は変わりましたね。お母さんがお婆ちゃんを亡くした時は、ひた隠しにされたのにね。こっちの方がスッキリしていいかもね。
お母さんね、もっとアツシとナミを見ていたかったんだけどね。ごめんね。
あと三ヶ月しか見れないのか、うーん、残念だよ。
アツシ、旅行に連れて行ってくれるって言ってたしね。お母さん、北海道がいいな。美味しいものを家族で食べに行きたいじゃない。それで小樽にも行ってみたいんだ。アツシ、お母さん頑張って元気になるから、その時は北海道旅行をよろしくね。

あなたは家族思いの良い子です。言葉遣いは汚いけど、それが照れ隠しなんてお母さんはちゃんと知っているんだからね。
だてにあなたを23年間も育ててきた訳じゃないんだから。あなたとナミは私達の自慢の子供です。
あなたもいずれ親になって分かると思います。自分の子供がどんなにかわいくて仕方ないか、絶対に分かる日が来ます。
お父さんが頑張って働くのも、お母さんがご飯を一生懸命に作るのも、
あなたたちがかわいいから。あなたたちを愛しているから。あなたたちと幸せを創り上げたいから。
それが親心だよ。アツシも絶対に分かるはずだよ。
けど、お母さん、子供孝行出来てないよね。あと三ヶ月の間に出来る事って何かを考えたんだけど、お母さんバカだから分からないや。ごめんね。
だから、この手紙はあなたたちに謝りたくて、今こうして書いているの。
無責任な親だね、無責任なお母さんだね。ごめんね、お母さん無責任で。

アツシ、お母さんの子供で幸せでしたか?
お母さん、自信がないな。お母さんなりに頑張ってきたつもりだけど、自信ないよ。
だから、この手紙を読んだら、素直にお母さんに言って。
お母さんの息子で幸せだったか、素直に言って。
もし、幸せだったなら、お母さんもっと頑張っちゃう。
もし、幸せじゃなかったんなら、お母さんもっともっと頑張っちゃう。
大好きなあなたたちの為に、お母さんは頑張るよ。エイエイオーって頑張るよ。
あなたたちを授かって良かった。本当に良かった。
お母さんは幸せ者だね。幸せすぎるね。

あ、しつこいけど、お母さんは夏くらいに北海道行きたいな。
家族で行こうよ、北海道。きっといいところだよ。美味しいものたくさん食べようね。
アツシの運転する車で、北海道をぐるぐる家族四人でまわるの。ステキでしょう。期待してるよ、アツシ。
ナミには別のものを頼んであるから一人だけの手柄なんかにしないこと!
夏に家族四人で北海道行こうね、お母さん頑張るよ!!

字が汚くてゴメンね。
お父さんも、ナミもアツシも、お母さんはみんな愛してるよ。幸せだよ。

                        アツシのお母さんより 」


って。書いてあった。






117 :癒されたい名無しさん:2008/10/31(金) 23:45:57 ID:1MDULyGB
160 :61 ◆1Z4mF1mWnQ :04/07/28 00:52

これで最後です。
俺は忘れてはいけないことがあります。
俺が自己満足で書き込んで、それに対しての温かい言葉、煽り、
全てにありがとうと言いたいです。
みんな、ありがとう。

母さんを北海道に連れて行けなかったことが残念でなりません。
そして、弱い俺はいまだに涙を流しっぱなしです。

家族を大切にして下さい。愛情を素直に受け取って下さい。
小さな幸せを大切にして下さい。
恥ずかしがらずに「ありがとう」と言って下さい。

俺はみんなに感謝しています。みんなの優しさにひたすら感謝です。
夏が過ぎて秋になって、冬になって、どんどん季節が廻ります。
その中での「ありがとう」って、誰にでもあるはずです。
素直にありがとうと言える事は素晴らしいことです。
涙が流せるくらい、美しいものです。
みんなありがとう。

母さんありがとう。
         ・
         ・
         ・







193 :Mr.名無しさん : 04/07/28 23:30

今日はろうそくを絶やさぬように、寝ずの番です。
遺影の母さんは笑っています。






122 :癒されたい名無しさん:2008/12/06(土) 04:02:19 ID:LAducHWl
俺のかーちゃんは拡張型心筋症であと五年くらいしか生きられません。
余命宣告を受けた時は真っ暗になりました。
かーちゃんも最初は落ち込んで精神不安定になりましたがどうせ死ぬなら楽しいことしようと思ったらしく今は好き勝手遊んでます。悔いのない余生を送ることに決めたそうです。
ある時かーちゃんが突然喪服を作りに行こうと言い出して店に行かされました。
採寸を計ってる時見えた値段にびっくり!
「かーちゃんこんなの買えないよ」と言うとかーちゃんは「この喪服はかーちゃんの時に着るのやから」とか「かーちゃんのへそくりでだすから気にするな」と言った後で
「自分の葬式の時にかっこいい息子を見せてやりたいんよ」と泣きながら言った。






123 :癒されたい名無しさん:2008/12/06(土) 04:03:27 ID:LAducHWl
いつも明るく気の強いうるさいかーちゃんだっただけにびっくり。
俺が「まだ死ぬと決まってないやん」と言うと帰ってきた答えは余命三年と医者に言われたとの事。
確実に心臓は悪くなってるから準備と覚悟して起きましょうと言われたから喪服を作りに連れてきたらしい。
それを聞いた俺は喪服作りながら号泣。
心臓移植は莫大な金がかかるから無理だし死を受け入れるしかない。
みんなに聞きたいんだが体に負担をかけない親孝行ってどうするんだ?
旅行とかは心臓に負担がかかるから無理だし、もう少し歩くと動悸が激しくなる。
誰か教えてください…







124 :癒されたい名無しさん:2008/12/06(土) 13:57:23 ID:jOvsZpbc
>>123
あなたが頑張って生き抜くこと





133 :癒されたい名無しさん:2009/01/24(土) 15:24:42 ID:56ePYq/V
 俺が中3の時の話
 
 元々母さんは精神病を患ってた。 
でも俺が生まれる何年も前に、ほとんど完治してたらしくて、俺は全然病気の心配何かしてなかった。

 そんなある日、母さんが事故にあった。 どうやら曲がり角のところで車に跳ねられたらしい。
幸い命に別状はなかったが右腕と右足がほとんど動かなくなり、さらに動くと首にも激痛が走るらしかった。
元々活発だった母は、動いたり外に出ることができなくなって、段々うつ状態になっていった。
 
 そして、治っていたはずの病魔がだんだんと動き始めた。

 そん時は地獄のようだったよ。 俺が今まで見たこと無い母さんが現れるんだ。
毎日毎日、その日によって性格が変わるんだ、 暴れだしたり、かと思えば泣きだしたり、俺に暴言をはいたり…
帰ってきたら母さんが首に縄巻いてんだぜ? 包丁持ってたり、俺に包丁つきつけて
 「一緒に死のうか…まさ君…」って言ったこともあった。
 ホントに辛かった。
 
 親父は親父で仕事が忙しくて、ほとんど海外にいた。 頼れる親戚も兄弟もいなかった。
おまけに俺は受験だった。 いろんな不安で心が押しつぶされそうになった。
 
 これはさすがに家族には手に負えないってなって、精神病院に入院することになった。
入院先は閉鎖病棟。 面会に行った時、閉鎖病棟の隅っこで小さくなって俺の名前を泣きながら叫んでる母さん見たときはホントに泣きそうになった。

 すこしだけど良くなって、母さんが家に戻ってきた。 
叫んだりはしなくなったけど、こんどは記憶の感覚がごちゃまぜになった。
中3の俺が2歳になったり、8歳になったり、時には死んだ母さんの弟になったり…
 
 それでも行動的なところだけは昔のままで、歩けないのに歩こうとして転んで血を流すなんてしょっちゅうだっ
た。
普通なら俺がどうにかしなきゃいけないんだけど、どうしても勉強で忙しくて、見て見ぬふりしちまってた…
  
 入試前日、俺が学校から帰ってくると、母さんがいろんなところに擦り傷作って台所になっていた。
足もとには大きな買い物袋…
どうやら買い物行って来て、そこらじゅうで転んで擦り傷作ったらしい。
 
 そしたらさ、色んなとこから血出しながらサンドイッチ作ってんだよ。 俺が小さい頃一番好きだった母さんのサンドイッチ
 「まさ君喜ぶかな? まさ君…まさ君…」 って泣きながら俺の名前呼んでんだ…
 「明日は一緒に、お出かけしようね」 とか、「明日は運動会だね」とか色々言ってんだよ。
なぜか知らないけど明日は特別な日ってことだけは知ってんだな… とか思いながらさ、
 そしたら急に泣き出してこう言うんだ。 
 「まさ君… お母さんはどうなっちゃうんだろ… まさ君…まさ君…」 
ず?っと俺の名前を呼ぶんだよ。 立ってるのも辛いはずなのに、泣きながら…
 ホントに切なかった。 

 次の日、母さんのサンドイッチを持って入試に行ったよ。 昼飯食った後の5時間目の社会。
なんでかわかんないけど眠くなっちまって、一問もとかずに眠っちまったよ。
 
 そん時見た夢はいまでも覚えてる。 俺が母さんに抱きしめられてた夢だった。






134 :癒されたい名無しさん:2009/01/26(月) 03:16:09 ID:EfrIPvm8
>>133泣いた。俺の母さんの話もしたくなったけど誰か見てくれたら嬉しい。

母が死んで今日で一年とちょっと。高齢出産だったこともあって、
俺の同年代の友達の親と比べると明らかに年くってた。
俺が「なんでもっと若く生んでくれなかったの!?」と責めたこともあった。
俺が思春期のころとにかく心配性な母がうざいのと、親父には恐くて
何も言えなかったから何でもかんでも
母に当たってた。たくさん文句言って寝ようと自分の部屋に入ったとき
母のすすり泣く声が聞こえたときは自分の不甲斐なさに気付き俺も泣いた。


お母さんが死ぬ時っていつか来るってわかってた。
でも気付いてからは遅いんだよね。そんな俺も今年で23才になる。
20才を迎えたくらいから親孝行したいなって思って
高齢出産だった母に孫の顔を見せてあげたいなって思ってた。
それで、先月生理来ない彼女が病院行ったら子供が出来てたよ。お母さん。
無事に生まれてくれたらいいな。
俺を生んでくれてありがとう。高齢出産だったから辛かったろう。
でも孫の顔見せてあげたかったな。抱かせてあげたかったな。
でももうお母さんの笑顔見れないんだよね。あの笑い声ももう聞けないんだよね。
でも俺少しは一人前の大人になったよ。学歴も無いし給料安いけど
ついに家庭を持つよ。こんな幸せなことってなかなか無いよね。

俺の子供にはお母さんからもらった優しさを少しでも分けてあげたい。
休みの日は子供といっぱい遊ぶ。俺が小さい頃のお母さんよりは
動けると思うよ。なんたってまだ俺若いからね。

お母さんが死ぬ前日に俺に言った言葉。
「今日はお風呂入ってもう寝なさい」
あの時寝なきゃ良かったな。今でも思うよ。一晩中話しとけば良かったよ。
なんで死んじゃうんだよ。お母さん。もっといっぱい甘えとけば良かった。
もっといっぱい話したかった。旅行に連れて行ってあげたかった。
それで美味しい物いっぱい食べさせてあげたかった。
次の日冷たい体に抱きしめても、声かけても何も返って来なかったよ。
お母さん、天国から俺の事見える?
俺の事もう心配しなくていいからね。子供の名前何にしようかな。
お母さんだったらどうする?明日仕事休みだから彼女とお墓参り行くよ。

最後に生きてるとき言いたかったけど言えなかった言葉。
「お母さん、生んでくれてありがとう」






138 :癒されたい名無しさん:2009/02/01(日) 06:22:59 ID:aQE0i9/L
もっと下さい





139 :癒されたい名無しさん:2009/02/16(月) 20:57:16 ID:oZOiDyaj
母が死んで呆然としていたころにころのスレを見てとても癒されました。
すみません、ここに吐き出させてください。
つたない文章ですがどうぞよろしくお願いします。

こういう場所に書き込むのは初めてなんですが私の名前は仮に一郎とします。
私の母はとても病弱と言っていいのかはわかりませんが、1度病気にかかると
なかなか治らず、まぁ体が弱いといってもよかったのでしょう。
残された私は今でも母の病気の時の弱った背中を弟の二郎(仮)と見ていたのおぼえてます
母のことを昔は嫌っていました。
母のことで思い出は多いのですが、そうですね一番印象に残っているのは中学の頃でしょうか?


連日雨が酷かった日のことです、私は中学3年でそうクラスは四階にありました。
その日は3者面談だったが、母が急に来れなくなり仕事を休んで父が来てくれるようになった。
「急に来れなくなってすまんな、急に具合が悪くなってな」
そういって謝る父さんのかおは今でも印象に残ってる。
お袋は勝手な人間だ・・・と当時はとても憤りました。


すぐに帰りましたその日は、三者面談が終わるなり。
家に帰ったんですが病院に行っていたようで母は家にいませんでした。
そして家族4人がそろったのは、夕飯のときでした。
元気そうにしゃべる母を見て当時の私はとても不快になりました。
ですが…今は心配をさせないように元気にふるまってくれていたんだなぁと
その時は言えなかった母への感謝の言葉を思うととても自分が嫌になり
発狂してしまいそうになるほどです。


あまり文章を書くことがないものでお見苦しいならすみません。
文章変になってませんかね?
続けさしてもらいます。
「いつもいつも父さんに迷惑をかけて恥ずかしくないのか?
 さっさと死んでくれクソババア!」
当時の父は結構の割合で家事をやってくれていました。
日常の家事は小学五年に上がった時から私も分担していましたが、仕事
と家事を両方やっている父はとても疲れているように見えました。


「ごめんね、こんなおかあさんでごめんね」
海苔を掴んだ箸が濡れ始め六回ほど謝罪の言葉を吐きながら俯いていました。
当時の私には母の泣いている姿はとても印象に残っています。
気まずくなった私はそのまま自分の部屋に戻り、やるせない気持ちになりながら
幾分ましになったところで好物の八ツ橋を食べながら、受験勉強に取り組みました。


当時の日記を見ながら書いています。
受験のストレスで当時いらいらしていたのでしょう。
とても母に謝りたい気分です、皆さんも両親が大事ならちゃんと孝行してあげてください
荒れていたんでしょう当時の私は九州を出たかったのです。
なぜ出たかったんでしょうね・・・今ではわかりません日記を見ても。
最後に母に会ったのは母の誕生日に気まぐれに誕生日プレゼントを渡しにいったの時です。
母は花が好きでした。
蓮華が特に好きでしたが十月だったので渡せませんでした。


その時のことはよく覚えています。
廊下を歩いてエレベータで母のいる七階までいきました。
そのときは元気そうだったんだ・・・
花のにおいをかいで笑っていたお袋。
「調子が戻ったらみんなでなんかおいしいもん食べようね」
何で死んだんだ

それでまた疑いもなく会えると思っていたのにね。
父さんのメールで本当に驚いてたよ。
メールがたくさん来ててさ、携帯の電源切っとく派なんだけどさ。
なんで電源がいれてなかったんだよ・・・
これから孝行していこうと思ったのに・・・
ごめん、ごめん・・・ありがとう

この年になるまで気づかんかったよ・・・・・
お袋ありがとう、ありがとうありがとう
弁当美味しかったよ、あまり作ってくれなかったけど
見守ってくれてありがとう。
生んでくれてありがとう
何で今頃気づくんだろうか?遅すぎるよ


最後にお袋有難うそして本当に今までおつかれ様でした。
お袋なら絶対天国いけるよ。
お見苦しく失礼しました。
皆さんの話で本当に助けられましたありがとうございます
このスレ主に本当に感謝します。






150 :癒されたい名無しさん:2009/02/28(土) 16:44:18 ID:DwE7hn3Y
私は、2歳のとき父を亡くし、以来、私をひとりで育ててくれた母も私が中学二年生の時
突然の心臓病でなくなりました。その日のことです。
 近所のスーパーに勤めていた母ですが、学校から帰ると
勤めを早退した母は床に臥していました。
「お母さん、どうしたの?」と聞くと「心配しないでもいいよ、ちょっと風邪をこじらせただけだから」とか細い声で答えました。
 昨日からなにも食べてない様子だったので「なにか買ってこようか」と聞くと
「おまえも今、期末試験中で大変なのに、いいの?」「もしよかったらリンゴが食べたい」「じゃあ、すぐ買ってくる」
 リンゴを買って家に着いたとき、母はもう死んでいました。
 枕元に、ほんのわずかな時間に、苦しみながら書いた母の言葉の走り書きがありました。
「哲、ひとりになってもお母さんお父さんはいつもおまえを守っているよ ありがとう」
とありました。
 私は、それ以来リンゴを見ることもむろん食べることもできなくなりました。
 あれから九度目の桜を見る季節がもうすぐやってきます。
 私にとっての桜の季節は、ただリンゴをにぎりしめながら泣きつづけた日々の思い出なのです。






152 :癒されたい名無しさん:2009/03/01(日) 12:47:32 ID:wkljQebG
>>150
哀切で、心にいつまでも残り続ける話。
涙が止まりません。
みんなにこの話を伝えたい。
150さん、ありがとう。
こんなにも胸をうつ話、感動しました。





153 :癒されたい名無しさん:2009/03/01(日) 12:49:40 ID:wkljQebG
>>150
哲さん、今は幸せですか?
哲さんの幸せをお祈りします。





161 :癒されたい名無しさん:2009/03/12(木) 06:08:26 ID:0LEUmGUU
長いけど実話です。

ちょっとした事で母とケンカした。

3月に高校を卒業し、晴れて4月から専門学生となる私は、
一人暮らしになる不安からかここ最近ずっとピリピリしていた。
「そんなんで本当に一人暮らしなんて出来るの?あんたいっつも寝てばっかで‥ゴミ出す曜日は確認した?朝は起きられるの?火事だけには気をつけてよね?」
事あるごとに聞かされる母の言葉にうんざりして、
ついに今日
「あぁー!もぉーうるさいなあ!!自分で決めたことなんだから大丈夫だって!!わざわざ不安を煽るような事は言わないでよ!!すこしは私の気持ちも考えて!最初っから上手くいくわけないでしょお!?自分の娘ならちょっとくらい応援してくれたっていいじゃん!!!」

と自分でもビックリするぐらい大声で母に怒鳴ってしまった。
はっとして
「やばい!怒られる」と思ったが母は何も言わず、悲しいような怒っているようなどこか複雑な顔をしてそのまま車に乗って行ってしまった。

いつもと違う母の様子に少し戸惑ったが、特に止めもせず、イライラしながらもテレビや携帯を見て一人で適当に時間を潰した。







162 :続きです:2009/03/12(木) 06:11:14 ID:0LEUmGUU
夕方をすぎても夜になっても母は帰って来なかった。遅い。遅すぎる。
まさか事故にでもあったのか‥?冗談じゃない。それだったら病院から電話があるはず‥
なんて考えていたら外で母の車のエンジンの音が聞こえた。

「ただいまー。」

いつも通りの母の声にほっとした反面、なんでこんな帰りが遅いのか問いただそうとした瞬間、
目の前にやたらと大きな薬局の袋が置かれた。

「何これ?」と母に聞くと、

重たそうなその袋を見ながら
「あんたの薬。一人暮らしするとき薬がなかったら大変でしょう。とりあえず一通りあったもの買ってきたから。あんたはすぐ体調崩すからねぇ。」

頭痛薬、咳止め、湿布や包帯、口内炎の薬、のど飴など袋の中にはありとあらゆる種類の薬が入っていた。

「こんなにたくさん‥」驚いてもうそれしか言えなかった。こんな時間まで私のために母は‥

「一人暮らしかぁー。見送ってやらなきゃいけないのにねぇ。お母さん心配でね、すごく寂しいのよ。
風邪引いた時とか本当はお母さんがそばにいてあげたいんだけどねぇ。」

もうそれ聞いて涙が溢れて溢れて、自分の不甲斐なさと母への申し訳なさで顔あげられなかった。薬だって決して安いもんじゃないのに。
自分の娘を応援しない母親なんて居るはずないのに、なんで気づいてあげられなかったんだろう。もっと応援しろだなんて‥
一番私のことを思ってくれて支えてくれたのは他でもなくお母さんなんだよね。
分からず屋でゴメン。いつもいつもいつもいつもありがとう。

その後、遅めの晩御飯を母と一緒に食べました。
残り少ない母の味をもっと大切にして行こうと思います。

読み辛い長文失礼致しました。






172 :癒されたい名無しさん:2009/06/05(金) 02:24:11 ID:xfypJB27
涙が止まらない。

自分のこと・・・
チラ裏だけど書かせてください。

去年の年明け、高齢ながら初めての子供を産んだ。
間もなく、子育てに追われる中で病気が見つかり、
夏、手術を受けた。
摘出された腫瘍は病理検査の結果、悪性だった。
まさか自分がガンだなんて、信じられなかった。
今のところ再発も転移も無いし
余命宣告されたわけでもないけど
正直「あと何年生きられるだろう?」って、
目の前にいる1歳の子供が何歳になるまで
見ていることができるのだろう?って
頭をよぎることはしょっちゅう。
そんな自分には酷なくらい泣ける話がたくさんあって
ぐちゃぐちゃ泣きながら思った。
もっと毎日を大事に、家族と過ごす時間の有難さを
忘れないように日々を過ごそうって。
当たり前の事だけど出来てないかもなぁ・・・って。

イタズラ盛りの子供を怒鳴ったり
時には手をペチンと叩いてしまったり・・・
まだ1歳じゃ叩かれたって理解できるわけじゃないのに。
そんな日常を思い返して
もっとたくさん笑顔で向き合おうって心から思った。
そして、もっと前向きに強く生きようって、
なんだかモヤモヤが晴れたような気持ち。

今日、このスレを覗いて良かった。
明日は目が腫れるなぁ・・・






185 :癒されたい名無しさん:2009/07/25(土) 12:43:38 ID:x4uh7VhD
体の水分が減るスレだな





201 :癒されたい名無しさん:2009/11/29(日) 05:26:27 ID:pWFEtQIl
全体を見て思ったんだけど…マジ泣いたわ…


思春期で加減もせずにオカンにひどい事言いまくってた自分をシバキあげてからボコボコにしたい…゚。(´□`)。゚ワーン!クソー!





219 :癒されたい名無しさん:2010/01/29(金) 20:51:34 ID:REWcJhvO
東京の大学に行きたいと言った時、母は何も言わず賛成してくた。
東京の大学に決めた理由はただ「東京に住みたい」それだけだった。
両親には金があると勝手に思っていた子供だった私。
そのまま東京の会社へ就職。人生はなんて楽しく楽なんだろうと思った。
だけど、会社は厳しく、がんばり過ぎてストレスから2年後摂食障害になった。
その時実家の父も癌で入院。母に電話すると、「宗教の集会に行ってきたよ」と。
誰にも頼ることができなくて、宗教にしか不安を打ち明けられなかった母。
父が病気だと知った知人が、いきなり大勢で家に来たらしい。
摂食障害で、毎日吐いていた私は、堪らなくなった。母を助けなければ。
一ヶ月後退職し、実家に帰った。
執拗に弱みに付け込む知人を追い払った。
だが摂食障害のことは母には黙っていた。実家に帰ったからといって、すぐに改善する
わけではなく、食べては吐いていた。
トイレで吐くとバレると思い、部屋で吐いた。母が父の病院へ行っている隙に
吐いた物をトイレへ捨てた。
ある日私が父の病院から帰ると、私の吐いた物が片付けられていた。
母は何も言わず、片付けてくれた。私は後ろめたさから何も言えなかった。
父は回復し、来週退院という時、母がトイレで倒れた。
末期の大腸癌だった。
たった7ヶ月、私に残された母への親孝行の時間。
抗がん剤を点滴しながら、母は
「自分の体をいじめんじゃないよ。あんたはいつか子供を産むんだから」
と言った。
何かわからないけれど、一気に感情が込み上げてきた。
点滴を替えに来た看護婦の前で、鼻水を垂らして号泣した。
この人はどんな思いで私の汚物を片付けたんだろう。
そうだ。いつだってどんな時だって、母は私の一番の味方だった。

以前親子3人で行った花火大会の時の写真が、美人に撮れてる!遺影に使って!
と笑って言っていた母。
約束通り、その写真を使った。

何にも親孝行できなかった。
楽しみにしてた孫を見せてやることもできなかった。
苦労をかけてばっかりだった。
でも、最期に、「産んでくれてありがとう」と言えてよかった。
私もいつか、母ような母親になりたい。






220 :癒されたい名無しさん:2010/01/29(金) 22:11:59 ID:JlduPzw+
涙がとまらない





232 :癒されたい名無しさん:2010/02/11(木) 20:38:11 ID:Nzlonv91
下手な文章ですが書かせてください

私が19歳のとき、母が末期ガンと診断されました
もう長くはないと

入院中、もうすぐ成人式だった私に
「振袖そろそろ見に行かないと」
「お母さん一緒に行けなくてごめんね」
「△△さん(母の親友)と一緒に見に行っておいで?」
など、すごく振袖を気にしていました
私は正直こんな状況なので成人式なんてどうでもよく、行く気もありませんでした

そしてどんどん病状が悪化していくある日、病院から帰ろうとする私に母は
「○○を産んで幸せだったよ。○○、幸せになってね」
と言った。涙が止まらなかった。

それからしばらくして、親戚が「これを着て病院に行きなさい」と振袖を借りてきてくれました。
美容院で着付け、ヘアセット、メイクをしてもらって病院に行った。

その頃の母は、もうほとんどしゃべれなくて意識も朦朧としていました。
振袖を着た私を見て何度も「可愛い」って言ってくれました
病室の中で撮った家族写真を見たら、母は私の方ばかり見ていました

その夜、なんとなく嫌な予感がした
もう会えない気がした

次の日の朝、家族の見守る中お母さんは逝きました

お母さん会いたいです
いっぱいありがとうって言いたい
まだまだいっしょにいたかった






233 :癒されたい名無しさん:2010/02/11(木) 22:14:13 ID:FCsBFPjb
>>232
振袖見せてあげれて本当に良かったね、お母さんも本当に、嬉しかったと思う。





234 :癒されたい名無しさん:2010/02/12(金) 21:23:09 ID:qb0xn4r4
目から汗が・・・;;





241 :癒されたい名無しさん:2010/02/22(月) 00:39:30 ID:pPHDeZhG
高校生の駄文ですみません。

私が中3になって間もなく、母が肺がんであるという診断を受けたことを聞きました。
当時の自分はそれこそ受験や部活のことで頭が一杯で、生活は大丈夫なんだろうか、
お金は大丈夫なんだろうかとかそんなことしか考えていませんでした。

5月、母は病院に入院しました。たまに家にも帰ってきていたので、治るものだと思っていました。
そして夏が終わり、私は部活でやっていた水泳を引退しました。部活がなくなったので当然時間も増えました。
それからほぼ毎日父に連れられてお見舞いにも行きましたが、早く帰りたい、勉強させろとばかり思っていました。

それから2ヶ月、入院してから半年で母は他界しました。
末期で手術を受ける体力もなかったそうです。
すぐそばで看取る事ができました。
その時は泣きましたが、ああ、こんなものかと思った自分がいました。
人が死ぬというのはなんて呆気ないものなのだろうと。


その後、元通りとは行かないものの、父と親族の支えでなんとか生活のリズムも取り戻して無事に目標としていた高校に入学することができました。
しかし県内でも割と進学校の部類だったので、すぐに落ちこぼれてしまいました。
中学では東北大会まで出場した水泳も受験休みでのスランプから抜け出せずにいました。


そして先日学年末のテストが終わり、家でPCをいじっていて、ふと昔使っていたフリーメールの受信ボックスにログインしてみようと思ったんです。
面白いスパムでも無いかと思って開いてみたら、案の定何百通というスパムメールが届いていました。

その中に見覚えのある母のメールアドレスがありました。

スパムメールにまぎれて何通も何通も。
開いてみると誕生日おめでとうとか、東北大会出場おめでとうと言ってくれているのもあれば、
ちゃんとご飯食べた?とか、父のことを手伝ってあげてねとかそんな内容のが何通もきていました。

泣きました。泣いて、そして後悔しました。なんで新しいメールアドレスを教えなかったのかと。
ありがとうって言えない。
母がいないっていうことと、母が死んだっていうことがイコールになったのはその時なんだと思います。


返信が一年以上も遅れてごめんなさい。
ありがとう。大好きです。






242 :癒されたい名無しさん:2010/02/22(月) 20:15:21 ID:k/nNr2u+
泣いた・・・
中学生や高校生の頃って親はどうしても口うるさくて疎ましく思ってしまうことが多いもの。
後になってから気づくんだよね・・・後悔してもしきれないかもしれないけど、
あなたが今の年齢(高校生?)でお母さんの思いに気づけたのはこれからのあなたの人生に
必ず生きてくると思います。
勉強も部活動も辛いでしょうが頑張って!辛くなった時はお母さんからもらった思い出とメールを
見て素敵な高校生活を送ってそして素敵な大人になって下さい。
お母さんもきっと喜んでくれると思うよ。





255 :癒されたい名無しさん:2010/04/15(木) 07:13:11 ID://ZOC5xZ
朝からやるべきこと忘れて見入っちゃった…涙





260 :癒されたい名無しさん:2010/05/11(火) 13:37:58 ID:tyiOZ5QW
このスレ読んで親孝行しなきゃなって思った
ありがとう








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コメント
14557:名無しマン:2010/05/11(火) 18:07
号泣した・・・ 
今、色々迷惑かけてるから  
早く一人前になって親孝行しなきゃ

14558:名無しマン:2010/05/11(火) 18:40
>>112-117は何回読んでも泣ける

14568:名無しマン:2010/05/11(火) 21:20
ハッハッハッハ、おまいらホンとに泣き虫さんだな。こんな程度のコピペで涙なんか出ねえよ。


















やめて・・・・本当にやめて。

14716:名無しマン:2010/05/13(木) 13:52

親が生きてくれているだけで奇跡のようにありがたいこと。恥ずかしがったりグダグダ言ってる暇はない。
今からやるべきことが分かったよ。
皆さんありがとう。

15060: :2010/05/17(月) 14:39
母を肝臓癌で亡くした。
父も介護が必要で同時に看られず、父を養護施設に短期入所させて母を看た。
母は麻薬系痛み止めと肝臓機能低下による脳障害で幻覚を見るようになり
来られる筈のない父の幻影を見ていた。
半身麻痺で立ち上がることも出来ない、腕もろくに動かせない
そんな夫が自分の看護に来た、そんな光景だった様だ。
母自身も亡くなる数日前でベットで起きあがる事すら出来ない状態だった。
それでも何十年も連れ添って、文句を言いつつ介護していた父の幻影を労っていた。
「泣きんさんなや…」と天井に向かって手を伸ばし空を掴む
そんな母の姿が忘れられない。

15201:名無しマン:2010/05/18(火) 20:09
。・゚・(ノД`)・゚・。

16057:名無しマン:2010/05/27(木) 01:43
医者になろうかなぁ...

16472:名無しマン:2010/05/30(日) 23:37
マジ泣きしました。
管理人さんありがとう。

16741:ニコニコ名無しさん:2010/06/02(水) 18:52
本当に泣いた。ああこの後予備校だから泣いたのばれるのヤダなww

今帰ってきた母に精一杯の感謝の気持ちを伝えます

17147:名無しさん@ニュース2ちゃん:2010/06/06(日) 00:34
こんなにおお泣きしたのは本当久しぶり。
いい歳した大人が、涙や鼻水で顔面ぐちゃぐちゃです。

私自身の障害という、母に責任のない事でついつい母を責めてしまったことがいくつあったか、とても後悔しました。
元気で健康な母がいてくれるからこそ今の私が或る事を忘れずに、今以上に母を大切にしようと思います。

17487:774:2010/06/09(水) 14:54
思わず生まれたばかりの息子だきしめちゃったよ。

17693:774:2010/06/12(土) 15:59
いつも感動するJ( 'ー`)しスレの中でも、特に心に響くレスばかりだった。
途中から涙止まんなかったほんと・・・
両親遠くに住んでるけど、出来るだけたくさん話しておこうと思ったよ。すばらしい良スレ。

17997:名無しマン:2010/06/21(月) 01:07
あんまり心に響かないのは、
俺が特に反抗期もないまま育ち、ちゃんと親孝行を続けているせいなのか・・・

122705:名無しマン:2013/02/12(火) 21:51
私の母のこと書かせて下さい
嫁にきてからおよそ40年 ずっと父の事業をてつだい 私たち兄妹や祖父母との同居もし
ほとんど自分の買いたいものも買わずに60歳をすぎた
ようやく 私も結婚し
子供を授かり ははにいいおばあちゃんになってもらえるとおもってた

急に 最近よく転ぶし どうもおかしいと病院へ
国指定の難病 薬も治療法もない
このまま 床にふせ 死をまつのみ
進行も早い方らしい

それなのに、迷惑かけてごめんなさいと私と父に謝った
いつも ずっと父の後ろを見ていた母 急に怒ったり、そして、どんどん日常生活ができなくなっている
現実を 受け止めるのに、時間がかかる

変な文でごめんなさい
もう少し書きます

孝行って 頭でわかっているのに
なにもできてない
子育てと介護 そして稼業跡取りとして
いま 私は母になにもできず、むしろいっきに頑張りすぎて、とうとう ははに暴言はいた

わざとそうやっておかしいことしてんじゃないかって

母は、さみしくうつむき 部屋に入って行った

その日の眠れなくて ずっと自分泣いてた
次の日 母は何もなかったように普通に起きてきた
ごめんなさいというと、動かなくなってきている右手をいっぱいに伸ばして自分よえいも大きい私を抱きしめてくれた
言葉もきちんと話せなくなっているから 大丈夫としか聞こえない
学生以来に抱きしめられて 私は朝から母の胸で号泣した

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