fc2ブログ

 1週間で勝手に痩せていく体になるすごい方法
 「めんどくさい」が消える脳の使い方
 菊地姫奈写真集 『moment』
 なぜか話しかけたくなる人、ならない人

ヒロイモノ中毒今週のイチオシ記事
【画像】この給食の食器入れるカゴ覚えてる奴いる?


ブラタモリ「#85 高知」★4
http://hayabusa2.2ch.sc/test/read.cgi/livenhk/1506769382/


99ui5.jpg


460 :公共放送名無しさん:2017/09/30(土) 20:12:23.69 ID:9CeqjKf/.net
坂本龍馬 坂本龍馬
って騒ぐけど
薩長同盟締結させた以外は特に取り柄なしだぞ



502 :公共放送名無しさん:2017/09/30(土) 20:13:01.21 ID:Cl0pb5Ua.net
>>460
薩長同盟も龍馬の力じゃないから



638 :公共放送名無しさん:2017/09/30(土) 20:14:31.24 ID:r2O1K2RK.net
>>502
アレは木戸が竜馬の御陰って回想録で書いたのが悪いww



819 :公共放送名無しさん:2017/09/30(土) 20:17:07.36 ID:Cl0pb5Ua.net
>>638
勝も薩長幕府が面白くないから、龍馬(俺の子分)が一人でやったと言った



821 :公共放送名無しさん:2017/09/30(土) 20:17:09.15 ID:vjgHVGnT.net
>>638
同盟の証明書に裏書きしてる(要は保証人)から立役者の一人であることは間違いない



866 :公共放送名無しさん:2017/09/30(土) 20:23:03.88 ID:vjgHVGnT.net
亀山社中は実質薩摩の外部団体だから長州からすると龍馬は薩摩の使者扱いだったが
薩摩と長州は長州が一方的に恨み持ってた関係なので、そういう薩摩でありながら薩摩人ではない人の
つなぎがないと言い訳が立たなかったのと
当時江戸の剣術道場は一種のサロンで、そこの有名人である龍馬は長州に来ても
受け入れられる数少ない立場の薩摩側の人間だった




関連‐高知へ来たけど食い物うますぎだろ・・・ ←オススメ
    坂本龍馬が襲撃された「寺田屋」って現在はパチンコ屋になったんじゃなかった?
    【速報】「1日外出録ハンチョウ」の大槻班長、歴史オタクだった
    土佐藩における武士の絶対的身分関係


【Amazon.co.jp限定】坂本龍馬大鑑 ポストカード特典付
小美濃清明
KADOKAWA (2017-11-15)
売り上げランキング: 32,550
関連記事


    


管理人オススメ記事
「牙突」なんて技本当に使ってたんだろうか・・・?
富山ブラックとかいう肉体労働者の為に醤油濃くしたラーメンwww
正義のヤクザなんて実在するの?
ドイツ料理って日本人の口に合わないのかなあ

 | ヒロイモノ中毒 | 
★オススメリンク



★オススメリンク
コメント
261224:名も無き修羅:2017/10/14(土) 08:33
脱藩までされた人を持ち上げるのってどうなん?
今の高知県から溢れんばかりの龍馬愛が少しでも当時あれば

261225: :2017/10/14(土) 08:35
それで暗殺されたのだから、生きてればそれなりに活躍できたはず。

261228:名も無き修羅:2017/10/14(土) 09:18
龍馬って自分で脱藩したんじゃなくてされたの?

261229: :2017/10/14(土) 09:29
暗殺は中岡暗殺に巻き込まれたって説もあるね
でも最近、龍馬が持ち上げられ過ぎだって反発から下げられ過ぎてるきらいもある
有名人の回想録にたびたび出るくらいなんだから、「単なる」とか付くような軽い活動家ではなかったと思う

261230:名も無き修羅:2017/10/14(土) 10:03
弁も腕も立つ男で、生きてたら大政商にのし上がっていたかもしれず、コネと顔の広さだけで言えばそれは確実だった
(経営はダメだったかもしれない…)

ただ、生きてる世界線の書き物では明治政府の黒幕的描かれ方をするんじゃなかろうか

261231:名も無き修羅:2017/10/14(土) 10:21
死の商人の手下だからなあ

261233:名も無き修羅:2017/10/14(土) 10:34
逆張り好きすな〜

261234:名も無き修羅:2017/10/14(土) 10:46
江戸時代のホリエモンやで

261235:名も無き修羅:2017/10/14(土) 10:46
中岡慎太郎のほうが好き

261236:名無しさん:2017/10/14(土) 11:00
別に好きでないけど、それって十分な功績じゃないのか?

261237:名も無き修羅:2017/10/14(土) 11:14
無価値とは言わんが過大評価されているのは事実

261238:名も無き修羅:2017/10/14(土) 11:14
※261236
いや、そういうツッコミ待ちやろww

261239:名も無き修羅:2017/10/14(土) 11:15
龍馬が行くを読んでも龍馬よりも愚直な千葉重太郎に感情移入していた俺…

261240:名も無き修羅:2017/10/14(土) 11:15
ただのパシリ扱いしてサゲる風潮あるけど自由に通信したり移動するのが難しい時代に動き回って間を取り持つってかなり凄いと思うんだが

261241:名も無き修羅:2017/10/14(土) 11:18
都市伝説での話だけど、紀州藩の船に当り屋をして大金を分捕ったが、これを受け取る前に暗殺された。
ここまでが史実だが、この大金が三菱財閥創設の資本金になったって。
三菱が近代日本建設のために果たした役割は甚大なものだから間接的な働きは大きい。

261242:名も無き修羅:2017/10/14(土) 11:36
>>261241
俺もその話武田鉄也のラジオで聞いた
最初は人にピストルを自慢して、次に会った時は法律の本を自慢していたら海上事故にあって大金を手にした
そのお金を岩崎弥太郎ががめたって話してた

261243:名も無き修羅:2017/10/14(土) 12:06
土佐の田舎の脱藩郷士が貿易の重要性を理解して成果を出したっつこと自体がすごいんだけど

261244:名も無き修羅:2017/10/14(土) 12:17
なんだかんだ言ってみんな歴史に詳しいんだねぇ。知識や考察に感心するよ。

261254:名も無き修羅:2017/10/14(土) 13:37
※欄読んでるだけで面白い。

261258:名も無き修羅:2017/10/14(土) 15:24
中卒ニートの夢やしそれぐらいの活躍が妥当やろ

261263:名も無き修羅:2017/10/14(土) 17:19
竜馬がゆくのせいで
「士農工商の身分にこだわらないヒューマニスト」みたいなイメージになってるけど
実際は「人殺しの練習のために乞食を何人か殺してみろ」って仲間への手紙に書いてるような悪党

261273:名も無き修羅:2017/10/14(土) 20:29
※261242
241が最初に断ってるだろうに「都市伝説だ」って
挙げてる拳銃云々の話なんか開明的(かつ浮気性な)思想に尾ひれ&誇張が付いてるだけや
まぁ竜馬キチの武田鉄矢の場合はガチで信じてる可能性もあるけどな・・

※261243
実家が庄屋だからとか海外通の人間と複数出会ったからだとか
色々言われてるけどねえ。にしても奇跡的よ

261276:名も無き修羅:2017/10/14(土) 20:59
※261263
英将秘訣だったら龍馬著者説はとっくの昔に否定されてる俗説やで
お疲れさんでした

261282:名も無き修羅:2017/10/15(日) 00:39
はっきりいえることは
龍馬やジャンヌになぞらえて言われている輩はことごとく碌なのがいない、ってこと。

パシリというか経済ゴロ、武器商人。
当たり屋やって金せしめる算段がついたのを乙女ねぇちゃんに自慢した手紙がNHKでよりにもよって龍馬伝始まる前にヒストリアだかの検証番組で公開されたと聞いた。

261284:名も無き修羅:2017/10/15(日) 01:41
ぶっちゃけ同じ海援隊やったら、武田鉄矢の方が実績上やろうな

261302:名も無き修羅:2017/10/15(日) 10:35
大政奉還とは無関係だったの?

261365:名も無き修羅:2017/10/16(月) 10:44
大政奉還自体はあの時代の知識人にとっては常識だった。
中岡慎太郎も大政奉還の建白書を土佐藩に提出しているし、木戸孝允も龍馬宛ての手紙で「土佐と薩摩を動かして大政奉還を建白できない?」と打診している。
龍馬も大政奉還と無関係とまではいえなくて、木戸の手紙をもらってから半年かけて薩土盟約(大政奉還に向けて両藩の協力を約束したもの)を締結させて、中岡といっしょに立会人を務めている。
ただ、船中八策を口述して後藤象二郎に提出したという話は明治に入ってからの捏造エピソード。同時代人の記録はもちろん、龍馬顕彰の目的で書かれた『汗血千里駒』ですら、船中八策については一行も触れていない。
龍馬で商売しようとする輩は船中八策を作り話だと認めるわけにはいかないから、半年後の新政府綱領八策と混同させるようなイカサマをやっている。

261366:名も無き修羅:2017/10/16(月) 11:03
※261242
※261273

拳銃だ万国公法だの話はいちおう元ネタはあったみたい。
ただ、それは土佐藩の軽輩の檜垣直治と吉田數馬が初めて京都へ行った時に龍馬から時勢の移り変わりを教えられたという内容だった。
ところが、明治後半になってから土佐勤皇党の加盟者で名前が似ていた檜垣清治のエピソードに書き換えられ、龍馬と会うたびに龍馬の自慢が変わっているという展開に脚色された。
でも、檜垣清治は明治になるまで投獄されていたから、こんな話はあり得ないということでエピソード自体が否定されてしまった。
まあ檜垣直治と吉田數馬のバージョンも都市伝説かもしれないけれども、お話が面白くて分かりやすい方向へ粉飾されていくのはよくあることだ。

コメントを投稿する
コメント:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
Page Top

Back To Top